セッション

あんま面白くなかった。こういうの見ると言葉を失うしかないのが歯痒いですね。

クレヨンしんちゃん電撃!ブタのヒヅメ大作戦(1998)

クレしんの映画の中でも格別に面白い。シリアスさもギャグの質も最高級。最高傑作と言って差し支えないだろう。エヴァの影響受けまくりやと思ったが実際監督はこの頃エヴァに嵌ってたらしい。子供は当たり前の無力さで描かれた銃の重量感や兵器の破壊力もしっかり表現されてる。足の短いおじさん最高。前作暗黒タマタマ大追跡から監督が原恵一に変わった。僕は前監督本郷みつる時の独創的なポップアート的世界観のファンだが、原監督は完璧なエンターテイメントで腹抱えて笑えっ興奮してそんで泣ける。臼井儀人先生やIZAMといったゲストも嬉しい。先生の大都会良い(笑)

母の影 - 北杜夫(1994)

この本は北杜夫氏の母上について語られた自伝的小説。この本を読んで氏は人物及び舞台設定にも自らの経験を大いに盛り込んでいた事が分かった。てゆーかそのものである。母は幽霊に出てくる母であり、楡家の人々の龍子であるのだ。僕は楡家の龍子のファンなのでこの本は非常に楽しく読めた。この本は幽霊、楡家を読んだあと総括的に読むべきであろう。想像に難しいが、親の死に目に会えないってのは相当な後悔を呼ぶんだろうなぁ。これでやっと家に積んである本を消化できた。僕は本を集めるのが好きで読むのは嫌いなんじゃないかと自分を疑ったがまぁ正直そのようなものだ。しかし、ほっくり返してみるとまだ数冊読んでない本があったのでまだ読まないとならないが、とりあえず怒涛の勢いで読み続けたのはこの辺で一旦終了。どうでもいいが僕は文庫本の恐らく付箋の用途で付けられているあの紐が大嫌いで、読んでる最中紐がぴろぴろしてたら邪魔で仕方がないので切ってしまう。あれいるか?これはもし売るとしたら査定に引っかかるのだろうか。

Plenty解散

10日ぐらい前に発表されてたらしい。個人的にはアルバムは毎回チェックする程度には好きで、最近このブログでも取り上げて以来本格的に好きになってきていた矢先の出来事だった。
江沼君曰く、バンドの中にいる事で自分の持つ音楽性がかなり制限されてたらしく、解散は寧ろスタートとのこと。まともな邦ロック最後の砦が崩壊した気がするが(笑)、まぁ、頼もしい発言が聞けてよろしいですな。実際plentyでする事ってもうないでしょ?惰性で続けるよりよっぽどいい、前向きな決断であったと思う。twitterを見ると解散を認めたがらないファンが多いが、解散を拒みplentyという組織に依存し続けるのは、その先に産まれうる音楽の可能性まで否定してるわけで、そうした人間は音楽がそんなに好きでもないのだろう。惰性をねぐらにする閉鎖的で退嬰的な人種を僕は軽蔑するがplentyとは元々そういうネガティブなバンドではなかったか、こうした姿勢がファンとして正しいのかもしれない(笑)
これを期にドラムの元the cabsの中村一太氏は元the cabs現オストライヒ高橋國光氏と何かして、高橋國光氏が音楽界に本格的にカムバックする呼び水になればいいなぁと思う。

「雨の木」を聴きながら - 大江健三郎(1982)

私小説風のフィクションであった。正直よく分からないところは多いのだが面白いところはやはり面白い。自身作中悪文と指摘されてることを認めている。作中、作者に似て作られた主人公が「どうしてそう、何もかもわかっているようなことが言えるのかなあ?人のことなのに…」と吐き捨てられた事が示すように、作者の文章は思い込み決めつけが激し過ぎるため他人の理解を拒むのではないかなぁと思う。そんな中でもグッとくる所があるから読むのだが、今回グッと来たのは主人公が幼い頃父に言われたという「おまえのために、他の人間が、命を捨ててくれるはずはない。そういうことがありうると思ってはならない。」という文章で、それは自分にも思い当たる節があった。しかしどえらい事をいうオトンやなーと思った。

木霊 - 北杜夫(1975)

幽霊の続編で前作の孤独な状況から一変、倫子というあからさまな萌えキャラが登場して驚いた。ただ彼女も回想に登場するだけで主人公の前に直接現れることはなかったので彼の孤独という体裁もギリギリ守られたと言える。本編でこれだけトーマス・マンを推されたら読まなければならないのかなと思う。北杜夫はまるで今見てるかの様に風景を描写するので僕はどうにかそれをイメージしようと頑張ったが、全く見たことない物はイメージできないと悟り、すごく今更だが流し読みという術を身につけた。これでいいと思う。またいつか読み返した時に理解できればという楽しみが増えるし、無理に調べたり画像検索している内に失われていく文章のリズムみたいなのがあるんじゃないかと。全四部構成になると述べられるこのシリーズは残念ながらここで途切れているが、幽霊から随分時間を置いた上にさびしい王様シリーズ他、を間に挟みながら進められた訳だが、どこかで北杜夫氏は死ぬ前に書いておきたい物が幾つかあると語っていたがそういう明確な意志による所産であることは明らかで、その創作意欲に非生産的な日々を送る僕は羨望の内に打ちのめされた。

L'Arc~en~Ciel - Real(2000)

ラルクには凡そ生活感のある歌がない。時給800円だとかコンビニだとか屁が臭いとかそんな言葉は絶対に歌詞には出ないし、歯が痛いだの腰が痛いだのバイトサボりたいだのというような泥臭い生活者の苦悩を歌った曲は一層ありえない。その爽やかさがポピュラリティを得たりカラオケで歌いやすい空気がある一因であったりするんだろうが、そんなラルクの中で異色とも言うべき最も人間臭いアルバムがこのRealである。取り上げるべきはファンに対する不満を歌った「bravery」と、昔の友達に久しぶりにあった時の感想を歌ったという「TIME SLIP」だろう。braveryはtetsu作詞作曲によるラルク史上最大の汚点とも言うべき曲で(笑)、糞みたいな曲に糞みたいな歌詞がのる糞曲で、過去に拘るファンを蔑視する一方、自ら過去を保護し賛美する歌詞には薄ら寒い思いがさせられるが非常に人間臭いと言える。TIME SLIPは作詞がhydeで作曲がkenで全くラルクらしくない締りのない平坦な曲にのる同窓会で随分うらぶれた友人を見てしまった時のような歌詞は、切ないというよりも砂を噛むような悲痛さがある。この曲がもし昆虫キッズの曲だったら名曲だと思っただろう。ark.ray大ヒットの後の停滞感が漂うがスルメ盤と言ってもいいかもしれない。neo universeは普通に名曲だが。