北杜夫 - 怪盗ジバコ(1967)

面白い笑える滑稽味のある物に対してユーモアがあると評するのは何だか逃げ腰な気がする。昔の人は知らないが、だいたい現代に生きる僕らは対面で「君はユーモアがあるね」なんてふうには言わないのだから。ユーモアという言葉は最近では『面白い。しかし吹き出すほどではない。でも、テレビみたいな低俗な笑いとは違い、品があるし、私は寧ろそちら側の人間でありたいからこちらの肩を持とう。』というようなそれこそ低俗な感情が作用して使われる言葉ではないだろうか。要するにそれが純粋な笑いの質量としてはどれくらいかを曖昧にしているに過ぎないのだ。高尚な笑い=ユーモア。そんなのは変だ。しかし、大笑いできるものではないがこれは実に良く出来ていて面白いなあと思う物は実際ある。例えばラーメンズのコント何かがそうだ。ラーメンズがユーモアであるなら大笑いできるのは僕の場合ダウンタウンとかになる。しかし、ダウンタウンラーメンズが劣っているとは思わないし、本来の意味でならダウンタウンだってユーモアの塊だ。その足りない笑いの分をユーモアという言葉で埋め合わせようという根性が許せない。それは寧ろ侮辱だと思う。足りないのではなくそこに違う「何か」があるのだ。悪いのはラーメンズではなくその「何か」をユーモアという言葉でしか表現出来ない奴等なのだ。感性に問いかけるものだ。その何かが見つからないなら僕はただ単に面白かったと言いたい。従ってこの本は面白かった。