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北杜夫 - 楡家の人々・下 (1964)

いやー、長かった。しかし、素晴らしかった。ここにはフィクションではあるが能う限り精巧に再現された運命があって、そこに生きた人たちの確かな人生が記されていた。
熊五郎や米国のような自分を正当化することに命をかけてるクズが出てくるのが北杜夫の一種特徴であるなー。そんな彼らも不真面目なりに精一杯生きてるわけだ。
龍子の息子周二は劣等意識の塊で同年の者たちと同じように放埒に振る舞うことができず思い苦しんでいる姿は何から何まで自分にそっくりで、完全に学生時代の自分の意識がここに表せれていて、北杜夫流石だなと思った。最後の方はエヴァのシンジくんみたいな諦念からくる落ち着きを手に入れていた。
アメリカとの戦争に突入して、戦艦にのる男の日記は古い漢字とカタカタで書かれていて読みにくかったが、戦争の事を描くのが戦争を体験した者の義務であり、それを読むのも自分たちの義務であるように思われてしんどかった。最後の方のB29の焼夷弾で何もかも焼失してからは逆に清々しく人々の茫然とした静けさが心地良かった。考えたら僕らは愛国心を捨て去るように教育されたんじゃないか。「天皇陛下万歳」というような景色を戦争と共に恐ろしいものとして植え付け、信仰や執着に後ろ指を指し奇異の目で見る、そんな空気を作り上げた。日本人としての矜持を捨て、敗戦国でいることを受け入れ、未来の為にアメリカへの憎しみを封じ込める必要があった。それが今も連綿と続いていて、我々は冷笑的で不実な国民性が身につけた。しかし、時代は再び日本人の中に暴力的な空気を取り戻そうとしている気がする。僕だって内心日本人の非生産的態度には辟易している、何か起こしてやろうって気持ちはよくわかる。しかし、何があっても戦争反対!この姿勢だけは絶対に崩してはいけないのだ。でも増え過ぎた人間はどうなるのだろう。破壊と再生を繰り返すのが愚かな人間の定めなのだろうか。